歩くための靴

来月引っ越しをすることになった。

いま住んでいる物件はもともとルームシェア用に借りたので個室が両振りで
使いづらいし、勤務地を考えてももう少し北に住んだほうが便利。
……と、この数年いくら訴えても動かなかった彼だけど、折れてくれた。

最近、母のこともあって、私はきちんと生きたくて、きちんと生きられなくて、
前に進みたいから、とにかく環境を変えたい。
何か新しいことをして、時間が進んでいることを感じたい。
「だから引っ越したい」と、彼には伝えていた。

先日、二人で焼肉を食べに行ったんだけど、私は体調が悪くて、お酒もグルグル周って
テーブルにガンと突っ伏して、髪の毛を焦がしてしまった。
よく覚えていないが「なんで私の髪ここないの?」と尋ねたら、そういうことらしかった。

「よし、輝子さん、引っ越そう!」
と、彼が気合を入れて言ったのは数日後のことだ。

髪を焦がした私を見てよっぽど「これはヤバイ」と感じたのかもしれない。
私は、ヤバイのだろうか。

いま、荷造りをしている。

生前、母が買ってくれた靴が捨てられない。

母の身体がまだ動いていた頃、
「なんでも買ってあげる。バッグは?車は?」と大きな話ばかりするので
「靴! わたし、靴がいい!」と、靴を買ってもらった。

大事な大事な靴。とはいえ靴は消耗品だ。
もう履きつぶしてしまっていて、持っていてもしょうがないくらい
ぼろぼろな靴は、靴じゃない。歩けないのだもの。

頭では分かっているのにどうしても捨てられない。荷造りが頓挫する。

捨てられないことが情けなくて、この数日、アホみたいに泣いた。
今日、「くつがすてられない」と泣きながら彼に話したら
「捨てることないんだよ。ぜんぶぜんぶ、持っていこう」
と言われて、なんだか全体的に許された気持ちになった。

捨てること無い。そう言ってくれてありがとう。
でもいつまで。

ずっとという訳にはいかないだろう。私もそれは嫌だ。
もっと大丈夫になりたい。

私は歩き出せるだろうか。歩いて行けるだろうか。
いつまでも回復しない体調。
美味しく食べても吐いてしまうし吐かないときはお腹を壊す。

引っ越しが済めば変わるだろうか。
靴を捨てれば変わるだろうか。
ずっとこのままじゃないことも知ってる。
日が幾つ沈んで幾つ登ればそうなるんだろうか。
進みたいのに進みたくない。わたしは母に会いたい。