「どんなこどもでしたか?」
「ホニャホニャとしか泣かなかったし、聞きわけも悪かなかったし、学校の先生にお話を聞いてもあんただけは、なんにもいうことはないです、とにこにこされるだけで、とても育てやすい第一子だった。」
……とは母談ですが、結構最近になって
「三つ下の妹が生まれたとき、あんたは母親と口をきかなくなって、ご飯も食べなくなって、、、
しょうがないから一週間ほど親戚の家に預けられたんだよ」
という話を聞き、己のめんどくさい子どもっぷりにがっかりしました!
記憶している限り、小さい頃の私は狭い空間を愛していました。
押し入れのお布団とお布団の間のわずかな隙間や母のドレッサーの裏、こたつの中、マッサージチェアの後ろの三角形の空間などを巣にして、好きな物を持ちこんで潜んでいました。
父のギターケースから音叉を持ちだして、狭く暗いその空間でキーンと鳴らすのが好きでした。
お父さん、よく音叉探してたけど、それで怒られることは無かったな。
わりと男の子とも女の子とも遊んでいたし、近所や部活の下の学年の子と仲良くすることも多かったのですが、唯一「年上の女の子」が苦手でした。
長女だし、いとこも上は男の子ばかりだったので接し方がわからなかったのです。
小学生の頃、上の学年のお姉さんに敬語で話したら「生意気」と目を付けられたことがあったので、中学校に上がって先輩にタメ口で話したら今度は「年下のくせに」と目を付けられ、完全に挫折しました。
思春期を過ぎ17、8になって、素敵な女性も身の回りに増えてきてようやく年上のお姉さんを好きになれました。
わっ、17、8て。
もう10年も前の話じゃないか!
※この記事はTHEINTERVIEWS
津島輝子「右と左が分からなない若輩者でございますが」
http://theinterviews.jp/teruruより転載しました。