日記

先日、中学時分に付き合ってた人(故人)のことを思い出して、アホみたいに泣いてしまいました。物凄い青痣作ったってのも実は、アホみたいに泣いて、ぼやけた視界の中を歩いててずっこけたからなのですが。

お葬式って、あれ、生きてる人間の心の整頓のためにやるんですね。だから初七日、四十九日、一周忌、三回忌、七回忌と、だんだん間隔が開いてるんだ。
私が訃報を聞いたのは18歳の時で、その時点でもう亡くなってから随分たってるという話でした。ちゃんとお別れしていません。
お盆でもないのにひょっこり思い出して、その度にしんどくなるのは、お別れができていないせいではないかと思っています。

あと、もうひとつ。どうも思わしい亡くなり方ではなかったっぽいから、というのもある。
知らせてくれた共通の知人の、あのなんともはっきりしない物言いを、一言一句違わないんじゃないかという精度で度々頭でリピートするのですが、どうも、あれは、やっぱり。
信じたくなくて、今まで幾人か親しい人に話した時も、その辺は濁していたのですが、この間、「多分自殺だ」と初めて口にしたら、瞬間、それが本当になってしまったようにブァッっと色を帯びて、止まらなくなってしまいました。

今までも、思い出してはそのたびに、もっと出来ることあったんじゃないかとか、何でうちはとか、どうしようも無いことを一通り考えては、「あー、今更ど うしようもないな」という究極に至るというルーティンを繰り返してきましたが、今回は新たに「本当にどうしようもなかったか? 本当に?」というの が出てきまして、ちょっとやっかいだった。結局「やっぱり今更どうしようもないじゃん!」といういつもの結論に至ったけど……。

「 どうせ忘れちゃうんだ。いやでも忘れるように作られている。なら、無理に忘れた振りはせず、忘れるまでは覚えておこう」 そう決めてからもう随分経ちますが、今だ何一つ記憶薄れる気配が無いのは、どうしてだろう。数年程度じゃ、まだまだなのかなあ。
まだまだなのでしょうな。本当に忘れるんだろうなぁ、オイ。忘れたーい。期待しちゃうよ、忘れるの。

こうやって文章で見ると凄く病んでる人っぽくなっちゃうんですが、実際はそうでもなくて、普通にアハアハ笑ったり、お酒飲んで楽しく騒いだり、スパプーでうずうずしちゃったりなんかして、楽しく過ごしています。元気元気。こうしてモニョモニョ考えたり感じたりしている分、大切な友達が同じようなことでしんどくなった時、ちょっとだけ支えになったり出来るんじゃないかしらとも思ったり。
ただね、ただ、ちょーっと、愚痴りたくなっただけで。