あーちゃんの話

中学二年生の一時期。障がい児学級の先生が授業中に腰を低くして教室に入ってきて、私の席にやってくるのが鬱陶しくてなりませんでした。
「津島さん。あーちゃんが呼んでるんやけど、来てくれへんかなあ」
「は? うち授業受けとるとこなんですけど」
(津島輝子14歳。1年4組のカトーイジメやボイコットが原因で友達とクラスをバラバラに離されてしまい、半ばスネ気味 反抗期真っ只中)

あーちゃんというのは、学年にいる軽い知的障がいを持つ女の子。長い髪をツインテールに束ねていて、なんか逐一動きがぴょこぴょこしていて、野ウサギみたいな女の子でした。
基本的にはうちのクラスで普通に授業を受けとるけど、ちょっと高度な授業のときは障害児クラスに行く、みたいな感じで教室に居たり居なかったりした。

同じコーラス部で、同じアルト(一番声の低いパート)でした。
私はアルトのパートリーダーを務めていたのですが、あーちゃんはアルトでも甲高い声を出してしまうので、傷つけずに注意する術について度々悩まされました。いろいろ考えた結果
「そんな声出しよったら、あーちゃんアヒルになってまうで! ほらもうアヒルだ! 羽が生えてきた!!」
みたいな、よくわからん注意の仕方をしていた記憶があります。
あーちゃんは面白がって笑って、そうこうしているうちにやたらと懐かれてしまいました。

いくら障がい児学級の先生に「鬱陶しいんで」と言っても、やっぱり先生は私のところに来るし、埒が明かない。
嫌になった私はあーちゃんのところに直談判に行きました。
「マジでうち呼ぶのやめてくれへん? ほんまごめんなんやけど、困るんやわあ。うちも授業受けんなならんし。あーちゃんに構っとられへんのよ」
言葉尻にとげがあったと自覚しています。
あーちゃん、しょぼくれてめっちゃ泣いた。
でも、それを期に、授業中、先生が私の所へ来ることはなくなりました。

5年も6年も経って、短大生の頃、たまたま駅であーちゃんと再会しました。
あーちゃんは昔よりも随分しっかりした様子で、
「ぼぎーちゃーん!」と駆け寄ってきて、
「どうしてるの?何してるの?私今働いてるよー!」
と、嬉しそうに話してくれました。
「もし暇だったらお食事に行こうよ」と誘われて洋食屋さんに行った折、思い切って、「あの時はごめんね」と謝ったら、あーちゃん、「全然いいよ! こっちこそごめん!」と首をブルブル振って、
「それまであんなふうに言ってくれる人おらんかったから、びっくりして泣いてもたけど、あれが無かったら今日私、駅でボギーちゃん見かけても声かけてなかったよ!」
と、言いました。

さらに数年の月日が流れましたが、今でもあーちゃんとはたまにメールのやり取りをします。友達として。
「アホやん。」とか、普通にツッコミを入れたりします。

道徳の時間に、「障がいがあるからといって特別扱いしてはいけない」なんて、良い子ぶった結論が度々出ますが、あれはちょっと違うと私は思う。
「特別扱いしてはいけない」と言うよりも、「特別扱いは意味がない」なんじゃないかな。
なんて、きっとこんな事を書いても、道徳の時間に出る実感の伴わない結論と一緒でさほど伝わらないんだけど。それでも。