今年の春は早かった。
街路樹の白木蓮は咲いたかと思えばすぐさま新緑にみなぎり渡り、4月の頭には桜がもう散り散りだった。
4月13日の今日はというと、とにかく視界が青い。
でかい腹をこさえてスーパーまでの道を歩く。
昨日もこうだったではないか、いや違うあれは一年前の今頃か、とあやふやになる。
先日、書類に記入すべき自分の年齢がガチでわからなくてグーグルで『年齢 計算』と検索した。
カレンダーに目をやると、どうやら今は2018年らしい。
……このカレンダー、3月で止まっとるがな。
丸一年。
何をしていたのかというと、妊娠して流産して不妊治療してまた妊娠して夫が転職して鬱になって回復して、それとは別で日々子育てをして仕事をして時々娘が持ち帰る保育所菌に一家全滅したりしつつもどうにかこうにかご飯を作って食べて暮らしていた。
毎日に肉体的(主につわり)苦しみと精神的限界があり、それとは別で娘の成長や季節のご飯の美味しさなどの喜びがあった。
つまりは常にシッチャカメッチャカだった。
「心臓止まってるね」と言われた日から、1年。
昨年の春は、こんなに視界が青くて眩しいのに、なぜこんなにもどうしようもないんだろうかと思いながら同じ道を歩いた。
お医者さんとの会話を振り返る。
「妊娠初期はな~~~~~。しゃあないんや。胎児にはいろんなストレスがかかるし遺伝子の不具合もあるからね。手術はいつにしよう、明後日来れる?」
「突然のことなので、ちょっと即答は……。いったん、お時間もらっていいですか」
「待ってても、一週間か、二週間か……自然と出てくると思うわ。それでもええけど、流産は小さなお産やから、陣痛もあるし、出血も多いかもしれへん。その場合は救急車呼び。人類みな兄弟やからね。みんな助けてくれるわ」
病院を出て、どうしてもいますぐじゃないと無理だったので夫に電話をした。
「自分が。たくさんてるこさんにストレスかけたから」
電話越しの夫の声がみるみる水気を増してゆく。
私もどうしようもなくなって駅のそばの駐輪場でうずくまった。
そういうこともある。
「縁起が悪い」と話にのぼらないだけで、本当は妊娠全体の約15%が流産である。
年齢も影響し、30代後半では20%、40代以上では40%と流産の可能性は高まるが、たとえ若かろうと確率は10%を切らない。
そしてそれらはたいてい遺伝子のせいである。
自分たちを責める必要はない。
知っていたし、知識は確かに幾分か心を守ってくれたけど、それでもやっぱりつらかった。
夫婦で相談の上、お医者さんの勧めどおり、やっぱり2日後に手術をお願いすることにした。
何かの間違い……ということはないと思うけど、納得するため最期にもう一度、夫と二人でエコーを見せてもらった。
2日前、確かに人の形を保っていた胎児は、くしゃりとつぶれて横びちゃの黒い空間になっていた。
全身麻酔をかけ、一瞬の手術。
麻酔が解けるまでは意識がワヤワヤだったけど、夫がずっと手を握っていてくれた。
病室で『おかあさんといっしょ』を卒業しただいすけお兄さんがゲスト出演するワイドショーを見た。
中途半端な昼下がりに退院して、「なにかうまいもの食おうぜ」と、二人でうなぎ屋でお昼を食べた。
とにもかくにも、“わたしたちは生きているのだ”と感じさせてくれる、美味しいうなぎだった。
つわりは手術の後もしつこく2週間ほど残り、手術による体のダメージもあった。
「しんどい割に、生産性がないよな……」
「魔法陣グルグルで、ギリ軍に囚われたキタキタ親父がひたすら木の棒を回させられてさ、何の意味が?と尋ねたら“特に意味はない”、と返される……そんなシーンがあったよな……あれだよ……」
などと夫と話した。
それでも、遊ぼう、ご飯、抱っこ、と、いつもどおり無邪気に要求する娘はかわいくてかわいくて。
だから生活をないがしろにはできなかったし、結果やり過ごせた部分も大きい。
3月で止まっていたカレンダーをようやくめくる。
あと2、3週で【正産期】だそうだ。
再び宿ったお腹の子は、私の肋を蹴り、股関節を掴み、自由かつ元気に振る舞っている。
娘は毎日語彙が増えている。
その日の出来事や自分がやりたいこと、感情を上手に伝えてくれるし、よしもとばりの一発ギャグも次々と生み出していて、面白くてとってもかわいい。
家庭内でのフォローに限界を感じ、夫は精神科のプロの助けを得ることになった。
「それらの生活上の困りごと、かつてからの癖は、発達障害からくるのではないか?」とのことで、なにやら長時間のテストを受けるなどして診断がついた。
今は転職後の職場での困難を緩和し日常生活を支障なく送るために投薬を受けながら、障害そのものについて一緒に学んで自分を(夫を)識る手がかりにしたり、来る産後の怒涛の生活に備え家庭内の細々としたことを滞りなく進めるための整備をしている。
いっときは完全なるうつ状態だったが、近頃は仕事や家庭での困りごとも減ってきたみたい。
快活さを取り戻しつつあり、私もホッとしている。
「一番大好きな人にそっくりで、自分の子供でもあって、こんなにちっちゃいのに自分を信頼してくれていて、こんなにかわいらしくて面白いだなんて!!!」と、娘を溺愛する様子を眺めていると、ほんとにほんとに、娘の存在はただそれだけで支えとなり、死にたさから夫を守ってくれたのだと感じる。
薬は確かに生活を助けてくれているけど副作用もしんどいみたいだから、仕事や生活のフローが身について無理なく卒業できるといいね。
先週末、4人家族でゴロゴロと寝られるように、寝室のベッドを解体してDIYでロフト収納を作った。
これから二人目が産まれるまでの1ヶ月も、産まれてからの生活も、きっとあっという間なんだろう。
その時々苦しみと喜びは入り混じって、さぞかしシッチャカメッチャカな日々であろうと思う。
でもまあ、わたしたちはちゃんと歩いているし、季節は勝手に巡るし、そのぶん歳をとってゆくんだ。
それは素敵なこと。楽しみだと思える今の自分が嬉しい。
もう少ししたら夫と娘が帰るから、取り急ぎお夕飯の算段を練らねば。
先日アク抜きをしたたけのこを土佐煮にして、それからちょろっとお肉でも焼こうか。