好き嫌いに良い悪いもないと思う

むかし、脚本のゼミの先生が「作品にダメ出しがあっても、誰かが糞だとなじっても、誰かがブラボーと称賛しても、それ以前に興味がないいらないと言ったとしても、自身の人間性の評価に結びつけるのはやめなさい。そのような人はプロに向かない」と言っていた。私は本当にその通りだと思ったし、今でもこの言葉を大事にしている。

twitterを見ていると、特定の作品が賞賛されたときに、同じ感想を抱けなかった人がものを言いにくい傾向が年々強まっているように感じる。
ただの好みなのになんでやいやい言うんだろう。

特定の作品について一個人としてふわっと何か言っただけで「その感想は本質でない。ちゃんと見ていない。もっとちゃんと見ろ」みたいなことを言ってきた人がいた。
(ユーリオンアイスを絶賛していて、ハチミツとクローバーが好きらしい。私はどちらも好みでない)
はじめから違和感のある人だったけど、たびたびスピリチュアルハラスメントしてくるし(占い師だそうで。悪いけどアマはアマやなと思った)、常々上から目線だし、結局半月粘着され「これがわからない人は○○」みたいな人格攻撃までしだしたので縁を切らせてもらった。

見る見ないなんて自由でいいじゃん。
それでなくともこの世にはたくさんの素敵な作品があって、そっちを見るだけでも寿命が足りないくらいなのに、なんであなたの好きな、私にとってどうでもいい作品に時間を費やさなくちゃいけないんだ。時間の使い方は自分で決めるよ。指図は受けない。

で、その縁を切らせてもらった人のことを振り返って思うんやけど、他者の好き嫌いを許容するのが難しい人は、作品や人間の好き嫌いにその人の思想が結びついちゃってるのかな。
えー、でもだからって他人の感受性にとやかく言うとはどういう上から目線なんだろう?
別の人間なんだから同じように思えないのは当たり前ではないかと思うんやけど。

いや、なかには「蓼食う虫も寿司寿司」「お刺身嫌いとはあなさみし」と互いの違いに涙を流したりする人も居てるんかな?
ええー、やっぱりよくわからない。
感想を共有しあえないなら、それはそれで流して、「そうなんや、ほな無難に今日はイタメシにしようか~」とはいかんもんなんかな~?
……まあ私のこの考え方もそのうち変わるかもしれんし、変わらんかもしれん。わからんけれども。

例えば「寿司が好き」「刺し身が嫌い」と言葉にする時に、「お前も好きになれヨォ!!!」「お前も嫌いになれヨォ!!!」などと念を込めないように、なにかを好きというときも嫌いというときも、同じように思ってくださいなどとは私は微塵も思わないんやけどなあ。

作品だって、人間だって、当然好かれることがあり、当然嫌われることがあって、そこに良いも悪いもないと私は考えている。

そもそもさー、好き嫌いなんてフワフワしたもんだよ。
わたし、『おおかみこどもの雨と雪』ふつうに好きだしBlu-ray持ってるけど、もし産後すぐのナーバスな時期の公開作品だったら、なにも共感できなくて嫌いだったかもしれないしさ。

そういや、ありがちな話なんだけど十代の一時期は「嫌い」は全面的にダメなことだと思ってたなあ。女子ってそういう風潮あるよね。
今では、「嫌い」も大事な感情だし、自分の「好き/嫌い」を自認することが、他人の「好き/嫌い」への寛容にも繋がると考えてる。
(なお、「嫌い」だから「攻撃して良い」とは思わない。また「嫌いな理由を述べる」を「攻撃」とみなすのは、違うと思う)

それを許さん人も、まあいるだろうしそれでいいんじゃない? とは思うんやけど、”不思議なやっちゃな”という目線を送ってしまうよ。