この仕事

一日の終わりによくクライエントさんのことを思う。(酒飲みながら)

肩書きなんてなんでもいいんだけど、日本でカウンセリングの店、懺悔の教会、
生き方のコンサルテーションを、一番敷居低く担っているのは占いの店だと思う。
だから私は「占い師」でいいと思ってる。

でも、始めから信頼してなんでも話してくれるクライエントさんばかりではなく、
ただ「占って下さい」と座る方も多い。
その人のことなんにも知らないし私は出たままカードの意味や、ピンときたことを
無責任に心を込めてお話するしかない。
心理学を駆使したセラピーワークなんかは、導入できない。それは次の段階のお話。

それでも何故だか相手には感じ入るところがあるらしく、だからこそ占い師に
なっちゃったけど、伝え方はあれで良かったろうかとか、幸せであって欲しいとか、
時間やお金の区切りなくもっと助けられたら、とか、
(それすると切りが無くなるから時間とお金の制限は互いを守る盾でもあるのだけど)
色々な考えが頭と心を巡る。

……占いのお店を訪れたことのない人には伝わりづらい話だな。
たとえばね、極端な例だけど、
「妊娠した。でも怪しい時期に別の男性とも関係をもってしまった。
どうすれば良いかわからない。しにそう」みたいな相談受ける時、
「あ、絶対誰にも話せないやつだしこういう時の為にこういう店は必要だ」と私は感じるんだ。

「ハイ自業自得ー!」でシャッター降ろすのは簡単。
でも、心の奥を掘り起こすと「相手にも事情があって助けたかった」とか
「自分は他人に必要とされたと きに生きている価値を感じてしまう」とか
心の未病を抱えてたりする。
そこにスポット当てて、自己理解、介助、対処しないと、目の前の問題だけ
どうにかしたってその人の心の問題は解決しない。

一人で向き合うにはでか過ぎる出来事や心の課題なんてごまんとあるじゃない。
私もあるよ。だからこそ人と人として向き合いたいなーって思う。

世界人類が平和でありますように。無責任に祈るよ。