いっぱいいっぱいおっぱい

ご飯して、おっぱいやって、ご飯して、おっぱいやって、仕事いつしようかと気にかけながらご飯の材料買ってきて、おっぱいして、ごはんして、おっぱいして、お弁当作って、終わらない仕事して、お布団入って寝てる途中もおっぱいして、朝が来て、ご飯して……
同じことをずっと繰り返していたら炊飯器になってしまっていた。

「遠方からめったに会えないお友達が来てくれるから会いたい」とお願いしたら、夫が赤子を引き受けてくれた。
日曜の昼下がり、カフェで友達と人語を交わしたら、どうにかこうにか私も人間の形を取り戻したけれど、その間、娘は泣いて泣いて手に負えなかったらしい。携帯の履歴は夫からの着信で埋まっていた。

申し訳ない気持ちを抱え駅で合流して、慌てて授乳室でおっぱいをやって、電車に乗って、夕暮れ空見ながら夕飯とお弁当と仕事のことを考えて……。
娘は可愛いし、私を必要としているし、夫もこんなに優しいのに、なんで私はこんなにへとへとで、炊飯器なんだろう。そう思ったら、何も言葉にできなくなった。

寝かしつけに吸われ尽くされ痛くなった乳首。それでも腕の中で泣く赤子の声がガンガン響く暗い寝室で、「むり」と言ってお布団に赤子を置いた。
どうした、と夫が部屋に飛んできたけど「むり!!」しか言えなくて、泣いてお布団に倒れこんだら、夫が赤子を抱えて「出てくるね」と外に出てくれた。
久方ぶりに赤子の泣き声のしない部屋で、一人で泣きながら仕事に着手して。
しばらく経って戻ってきた夫が「いいんだよ、大好きだよ」と赦してくれたのでなんとか生きてる。

「育児も家のことも仕事もやってくれて十分頑張ってるよ」と夫はいつも労ってくれる。
それは確かに活力になるし、なんとか毎日を乗り切れてるけど、実質的な生活は何も変わっていないから、また擦り切れてしまうのではないかと思う。
着手するとしたら、私が手抜きを覚える、仕事を減らす、夫も食べるものを作れるようになってもらう、辺りか……。
どれならできるかな。
でもどれを行動に移すにも、努力や犠牲が必要でしょう?
どうすればいいんだ。