ユーリオンアイスが面白かったけど面白くなくてモヤモヤしてる。特に勇利が地元について完全放置で終わったこと!!!

今季視聴していたアニメ『ユーリ!!! on ICE』が終わった。
キャラクターが魅力的だったし、スケーティングパートは映像体験として新しくて目が離せず、とても面白かった。
アニメーションなのにスケートの演技が良くなる瞬間や崩れる瞬間が見て感じ取れるだなんてものすごい技術だと思う。
このキャラクターたちが非実在だなんて信じられない。

そうして毎週楽しみにしていたのに、最終回視聴後に残ったのは「はあ?」の一言だった。
1日おいて、もう一度考えてみたんだけど、この「はあ?」は作品についていけませんでしたもういいですの「はあ?」というより怒りの感情に近い。
ぜんぜん、もういいって思えない! ついて行かせてほしかった!
だって面白いと思って見とったもんほんまに!
この物語がこういう終わり方をして、わたしはくやしい。
消化不良!!! ウワーン!!!!

この作品、タイトルやビジュアルイメージやイントロダクションで示された「スケート競技のとあるグランプリファイナルのお話」という前振りと、話の着地点「スケートを通じた勇利とヴィクトルの恋の過程のお話」がズレてるっていうか、確かに前振りの通りグランプリファイナルの話だったけど内容に偏りがあってバランスが悪かったから、わたしみたいな感想を抱いた人は他にもいるんじゃないかな……。
そんなわけで自分自身のモヤモヤ解消のためと、この記事を見るどこかの誰かの「そう!そうなのよ!」のために、個人的な感想及びわがままをネットに書くことにした。

満足している人はそれでいいと思う。あなたはあなた、わたしはわたし。
感じ方は違って当然だし説得するつもりはないから、自分と違う意見の人の話は聞きたくない、全員が自分と同じ感想であってほしいという人にはあんまり読んでほしくないな……。

スポンサーリンク

以下個人的感想とわがまま

わたしの感じた「はあ?」をもう少し分解して言葉にすると「筋が通っていない」「裏切られた」になる。
本当にわがままでしかないが、わたしが個人的に見たかったものが作中に描かれていなかったから、こういう気持ちになってる。

勇利はインタビューで「 ヴィクトルとの絆や、家族や地元に対する微妙な気持ち……ようやく自分の周りにある愛のようなものに気づくことができました!」と述べていた。
なのに、その後、地元のみんなとの関わりについて完全放置だったのが一番ひっかかってる。

絆を表現するには1話まるまる23分必要なわけではない。
わたしが個人的にこの作品で一番ぐっときたのはJJがショートプログラムで崩れた時なんだけど、JJのスタイルやJJを支える人たちとの絆を示すためにストーリー中かけられた実時間はそう長くなかったはず。ユリオと身の回りの人の絆も同様。
なのに勇利は物語の最後まで、応援してくれている地元や両親に対してありがとうの態度ひとつなかった。

「やあ、ユーリ~」「ヴィ、ヴィクトルー!?」の毎度おなじみのやり取りをひとつ削れば十分描けたことだろうに、全く表現されてなく、余白でつかめるような構成にすらなってない。
公式が描く気ないんだよね……だから「BL表現が過剰」と言われてしまうんだと思う。「もうわかったから」って部分を何度も描いて、他が削られているから。

「うちら、微妙だったんだ……」と地元のみんなにショックを与えたままになってるんだけど、物語としていいのかそれで。
勇利にはいい子であってほしいのに、これではただの身勝手な子になってしまう。
というか、勇利の原動力ってヴィクトルへのあこがれと恋と今ある関わり(愛のようなもの)だけなの? だとしたら随分と説得力のない成長物語だなあと思うし、正直とってもイライラする!

だいたいなんで両親は未だにスケートのルールを理解していないの?
温厚で息子を素直に応援する両親を持ち周りに恵まれていながらなんであんなに勇利は自分に自信がないもやしのようなメンタルなの?
というかいま書いてて思ったけど勇利の両親、息子を素直に応援しつつもスケートのルールを理解しないってだいぶメンタル図太いやろ!
どこいった説得力!!!
戻ってきてくれ!!!
頼む!!!!

とにかく、全編を通して二人のときめき(恋)についてはしつこいくらい描かれていたけど、ヴィクトルの言う“愛(ラブ)”や“生活(ライフ)”は、作品内での扱いが希薄すぎやしなかったか。

10話EDのバンケットでヴィクトルが1話冒頭より以前から勇利に対して特別な思いを持っていたことが描かれていたけど、ヴィクトルってひょうひょうとしていてなにが本音なのか掴みにくいキャラクターでバックグラウンドが不明なので(キャラが掴めなさすぎて11話でヴィクトルが他の選手眺めてる時ほんまに勇利を見限ったのかなと思った)、なぜ酔いどれて踊り果て自分にしがみついて腰を振りながら「コーチになってくれるとやろ~?(九州弁)」という勇利に即落ちしたのか、謎……。

ヴィクトルは世界選手権5連覇のカリスマ性あるプレイヤーという1次ソースがあるからこそ「コーチやってくれ」くらいのことは冗談にしろ本気にしろなんぼでも言われてきたんじゃないかなと想像できるんだけど、本当になんで即落ちだったの?
……謎!!!

物語のかなり早い段階で「僕がユーリに惹かれたのは音楽さあ~、その体が奏でるスケーティングそのものだ」とセリフがあったけど、一視聴者としてわたしは初期の勇利(ヴィクトルの完コピ、バンケット含む)にそれを感じなかったし、ヴィクトルという人そのものについて作中に描かれていないからヴィクトルのツボがわからん。

「公式が最大手」とみんな盛り上がっている。見たいものが二人の絡みだった人は幸せだなと思う。わたしはブロマンスは物語を構成する一つの要素でしかないと思ってるからムッチャ残念。

公式が最大手でもいいけど二次創作で十分描ける接近ドキドキは二次創作に任せて、まずは一次創作としてもうすこし広い範囲のことを描いてほしかった。
そうでなければスケートを出汁にした味の薄いBL作品だよ……。
うーん、味が薄かったのかな? なんか、局地的に味が濃くてあとは味の付いてないハズレのコンソメパンチみたいな作品だと感じたんだ。

「二次創作で想像する余地があるじゃない」とtwitterでなぐさめてくれた人もいたけど、二次創作でいくら書き込まれたって一次ソースに微塵も示されてないものは信じられない。
例えばユリオとゆうこ、ユリオとオタベックの二次創作ならわかる。
一瞬でも関係性が示されていたから。そういう未来もあるかもしれないと思える。
でもヴィクトルの過去についてや、勇利が地元に戻って「ただいま。支えてくれて、ありがとう」と微笑むような二次創作があったとしても、想像による補完ではなくてただの捏造になってしまう。

勇利に優しい子であってほしいのに物語を追うとただの身勝手な子に着地してるの、ほんとに悔しい。
わたしこの作品好きだったんだよ。好きだったのに。

10話のEDバンケットは酔った勇利ひどいなユリオはどんだけ写真いっぱい撮ってんねんみんな楽しそうゲラゲラゲラって笑って見てたし、指輪の交換もあらァ本当に自信のない子だね、お守りが欲しかったんだね、勇利にとってヴィクトルは本当に神様みたいな存在なんだ……ゆうて、そうかそうかって思ってみてたの。
足りないものは、これから描かれるんじゃないかなと安心していたから。

だって一瞬で絆を見せる表現方法を持ってるんだもの。この番組の制作陣は。
なのになんでやってくれなかったんだろう。あえて描かない意図がつかめない。
残念だな~……しょんぼりだよ……ラストのエキシビジョンは美しかったけど、上の空だった……はあ……。

色々言ったけど、続編があったら絶対見たい。
OPのように力強い肉体に成長したユリオや、復帰したヴィクトルや、自信を得て精神的に大きくなった勇利のスケーティングはどんなだろうと想像するとワクワクする。
もしそのような機会があった際は、わがままでしかないけと頼むぜどうにかもう少し気持ちよくさせてくれって思う。
頼むよ……。