おじいちゃんおばあちゃんへ会いに行った

実父の還暦、おじいちゃんの米寿祝い、おじいちゃんおばあちゃんのナンチャラ婚式祝いをひっくるめて、実父、私、夫、娘、私の妹、妹のパートナーというメンツで岐阜へ行ってきました。

ハー。ようやくおじいちゃんおばあちゃんにひ孫を会わせることができた。
岐阜に住む伯母は子どもを産む前も産んでからも大変な思いをしたらしく、連絡しても「落ち着いてからでいいのよ」と言ってくれるのでつい甘えてしまった。
夫に休みが無いのと、ゴールデンウィークや年末年始、お盆は必ず夫の実家から「帰っておいで~」と言われるので(その三つを全部義実家行きにすると本当に家族の時間が無いので時々断っている)、隙がなかったという事情もある。

ともあれ宴です。大人の数が多いと、みんなが娘を見てくれるのでずいぶん楽だ……。
お酒を飲んで、楽しく会食をし、夜更かしした。
テクニカが寝た後、25~60歳の大人が旅館の窓際のソファースペースにぎゅうぎゅう集まって、小声で話しながら酒を飲んでいたのが面白かった。

実父はときどき、私たち兄弟が小さかった時のこと、母がどのように幼い私たちと接していたかを話してくれる。
前回は、「きみたちが小さい時はねえ、おかあさんはいつも、味海苔と塩を持ち歩いていたよ。白米はどこでも手に入るから、ヒョッと海苔巻にして食べさせていた」と聞いた。
それ以来、この旅はもちろん、少しの外出時も私は味海苔を持ち歩いている。確かに便利。
うまくやらないと、テクニカは海苔だけ食おうとするけれど。

正直、出産・子育てに当たり実母が生きていればと何度願ったかわからない。
この場に母がいないことはとても残念だけど、家族の会話で当たり前に登場する母の影に温かいものを感じている。

産まれる人がいて、この世を去る人がいる。
米寿を迎えたおじいちゃんおばあちゃんは髪の毛が真っ白になり、会話のキャッチボールもおぼつかなくなっていた。私はおばあちゃんからは完全に“息子のヨメ”、つまり亡き母と思われていて、1歳になる私の娘は“初孫”つまり私だと間違えられていた。タイムスリップみたいでおかしかった。

おじいちゃんおばあちゃんと別れ、車に乗り込んで改めて、みんな順番なのだし、いつなにがあってもしょうがないと噛み締めた。

でもさ、また会いに来ようね。そう約束しておこう。その時には、娘も少しはお喋りできるようになっているかな。