育児と仕事を両立することの難しさ

やっと落ち着いた。娘のお熱で5日間仕事できなかったのでいろんなことがカツカツだった。
子どもを育てていると当然こういうことはあるし、誰も悪くないんだけど、4日目くらいから社会的に死なないか心配になってくるね……。

うちの場合、3人きりの家族だし、なにより娘が私を求めているので、娘が体調を崩したときは取引先やクライエントに頭を下げて、日を改めさせてもらっている。
とはいえ、心の柔らかい部分を扱う仕事なので、クライエントの置かれている状況によっては「これ以上先延ばしにできない」と感じることもある。
産休を取る時に常連のクライエントにそうにしたように、リファー(別の先生や専門機関を紹介する対応)という手もあるけれど、クライエントはありがたいことに他でもない私を選んでくれているのだし、いつも話している私が相手だから話が早いのも確かなので、できるだけ応えたいと思っている。

今回、お熱の娘を預けることになっても、どうしてもどうしてもこの方だけはこれ以上待たせられない、と私が判断した案件があって、病児保育の窓口を当たった。
施設を利用するには前日夕方より受付先着、当日は朝7時から電話で先着とのことだった。前日の時点で満室となることもあるという。
電話をかけてみたら全く繋がらなかった。朝10時のチケットぴあみたいだった。繋がった頃にはやっぱり満室。厳しい。
そうなることも想定して、予めクライエントにこちらの状況を打ち明け含みは持たせてあったのだが(私的なことをクライエントに話すのが正しいのかはわからないが、私にとっての誠実さを考えた時にそれしかなかった)、摺合せの結果、日を改めてもらうことになった。
どうしようもなかったけど、期待に応えられなかったことにはやはり「ごめんなさい」という言葉しか出てこない。

「どうしてもやすめないあなたに」という栄養ドリンクのCMが叩かれている。それ自体はいいぞ、もっとやれ、という気持ちだけど、現実的には、やっぱりどうしても休めない時はあると思う。そもそも「母親」という仕事がその台頭だと感じる。
「父親がいるじゃない」とは十中八九、子どもを持たない人の台詞だろうと想像する。
育児は、いやきっと育児以外の色々もそうなんだけど、本当に、うまく言語化できないことばかりなんだ。
うまく説明できないけど、いまこの時代ではまだ、父親と母親が同等に子育てをするのはものすごく厳しいと思う。まずもう、仕事の拘束時間が長すぎて父親は家にいないんだもの。

切羽詰って、ついつい夫に「必死に病児保育の施設を探すのも、お客さんに謝るのも、娘に申し訳なく思うのも、全部私。あなたはいいよね。いつも通りに仕事ができて」と言った。
家族である夫すら、言われなければ気が付かなかったという面持ちでハッとしていた。

子どもを育てながら、介護をしながら、持病とともに生きながら。
働くためには社会の理解が必要、なんてサラッと言うけれど、“理解”ってすごく難しい。
実際のところ、誰かがお休みしても「お互い様だ」とスムーズに回るよう整えられている企業ってどのくらいあるんだろう。というかそのように整えることは可能なのかな。企業単位ってまず無理じゃない?部署や職種で随分変わってくるのでは。全部がそうなれば理想だけど、想像しにくい。

でも諦めたくないなあ。いろんなこと。
色々な立場の人を想像すること、正しい情報を得ようとすること、理解しようとすること、働きやすく暮らしやすい時代を目指すこと。

うーん、これって結局、企業、個人、家庭、経済、すべてに余裕がない時代だということなんだろうなあ。