その言葉に価値など無くても日記を書くのをやめない

Twitterだとサクサクなんでも書けるのに、
Facebookや自分のサイトに長い文章を綴ることができない。

母が死んでからそう。

もうここ2年ほど、何を書けばいいかわからないまま時が過ぎている。

私がサーバーを借りて高校生から15年分の文章を残しているのは、
それが私の生きた記録であり、リアルやネットで関わりのあった
大切な人たちが時たま私を想う時の墓場になるから。
大事な友人らの気が済んだ数年後、自動的に消えるといい。

でも母が天国に引っ越すのを見送ったら、何かけばいいのか分からなくなっちゃった。

母の闘病は、同じ病気を持つ私にとって、いつかしぬ自分を確認する作業だった。

母は55の時、母の兄は33の時に、その病気に端を発する癌で亡くなった。
私はいま31だ。

……なんとなく44は怪しいよねと思っている。

……と、こうやってみんなに振れ回っていれば、そういう奴に限って
長生きするのでは?と期待している!

なんかねえ、母を見ていて
「ほう、ほう!こうやって弱って。みんなと関わって。終えてゆくのか!なるほどなるほど!」
と、確認したら、安心というか、満足しちゃったんだよねー。

必死(なつもりで日記を書いてきたわけじゃ無いけど)に「残そう残そう」と思わなくなったなあ。

それより、ばりばり仕事してチョットだけ誰かの生きやすさのお手伝いをして
大切な人と関わりあって、わいわいしてたいもの。

でもまあ、明日しぬならやっぱり何か書き残すな。

「元気でねー」とか、「楽しかったよー」とか「案ずるな誰しも行く道来る道じゃー」とか。

ああ、そういうのを書けばいいんだな。
楽しく生きたことを記録すればいいんだ。

いやー、なんか、昨年相談業で独立してから、誰かの為になるようなことや
意識高いことを書かなきゃいけないのかなー?って考えてしまう部分も正直ありまして。

そうじゃなかったですね。好き勝手書こうと思います。
別に誰宛の何というわけでもないしな。私は誰に向かって言ってるんだ。