夢を持つ

オリンピック、ハーフパイプの競技を見ていたら日本代表の名前が
「平野歩夢選手」「子出藤歩夢選手」と、あっちもこっちも「歩夢クン」で一瞬混乱した。

しかし落ち着いて考えると、 “夢を 持って歩いていい” と、支えてくれるご両親の元で育ち、満を持してこの大舞台に立っているのだな、と、すごく腑に落ちるものがあった。

高校生の頃、「ラジオで情報を伝える人になりたい」と両親に伝えたら、母は怒り気味に「それが堅実に考えた結果か」と言い、父は「お前にできるか」と鼻で笑った。
本当は頑張れと言って欲しかった。

「いや、、、わたしFM局に拾われて、もう番組レギュラー決まってるんやけど」と言ったら笑っていた父は言葉を失っていた。
やっぱり「頑張れ」とは言ってくれなかった。

父や母にとってはラジオ番組を持つということが非現実的すぎてよく分からなかったのかもしれない。
まだ父母の中では私は子どもで、好きにやらせていいと信用に足らなかったのかもしれない。

結果的には、学費を出してもらって短期大学のマスコミ学科で勉強をさせてもらえたけれど、1年半続けたラジオの仕事のこと、ネットで個人的にもラジオ番組を持ち沢山の人に聞いてもらえたこと、FM局で年末年始の特番で8時間生放送をして楽しくてしんどかったこと、短大のみんなで取り組んだTVの生放送番組で司会をさせてもらったこと、……そうして色々な経験をさせてもらった結果、パーソナリティの仕事は未来長きに渡り務められるものではないと感じたこと、朝も夜もなく「親の死に目にあえない仕事」と言われるマスコミの仕事はやめておこうと結論を出したこと……両親には全く話さなかったなあ。

私にもし、子を産み育てるような未来があったなら。
その時は、「できるできる! ヘイヘイ!」と言って育てたい。
転ぶ時は転ぶだろうけど、それでもいいじゃない。
「やれるよ」って。
「頑張れ」って。
信じてくれる人がいれば人は力を出せるんだ。