インタビューズ-どんな学生時代でしたか? 思い出話などを聞かせてください

「どんな学生時代でしたか? 思い出話などを聞かせてください」

小学校3年生の時に横浜から兵庫に引っ越しました。
標準語がむかつくという理由で田中君は私を殴ってしまったそうです。
田中君は私の親友の旦那になり、大人になってから「殴ってごめん。ずっと後ろめたくて」と謝られました。私はさっぱり覚えがなかったので「なんかごめん」と謝りました。
休み時間はだいたい女子グループで日なたのカーテンにくるまっていました。
右手で筆を持たねば先生に叱られたので、習字の時間が何より苦痛でした。
コーラス部でした。左右がわかりませんでした。

中学校は山の上にありました。
授業中は窓の向こうの遠い海ばかり見ていました。左右がわかりませんでした。
バレー部のレギュラー争いで友達にハブられたのでハブりかえしたらいじめの首謀者みたいになってしまって生徒指導室常連でした。
隠した靴を出せと言われても靴を隠したのは私ではないので出せなくて、「あーやってないことの証明って難しいんだなー」と思いました。バレー部はやめてコーラス部に転身しました。
ちなみにハブッタリハブられたりした相手は高校で仲直りをし、今では親友です。
twitterでもたまに「友達が」という形で話に出る一人です。神戸でネイリストをしています。

高校は海のそばにありました。
授業中は海浜公園の観覧車ばかり見ていました。
学校帰りに彼氏や友達、部活の仲間と海岸で遊んだのが良い思い出です。海風に紺色のプリーツスカートがひらひらしていました。
文芸部と放送部に所属していました。NHKコンクールやアンサンブルコンサートの時だけ助っ人として音楽部で歌っていました。
週休二日制のあおりで授業日数が減ったので先生方は生徒を良い大学に入れることと学校の偏差値を下げないことに必死なようでしたが、私はそれ以前に左右がわかりませんでした。

いつかきっと自然に左右を覚えられるはずと思っておりましたが大変残念な形で今日に至ります。

※この記事はTHEINTERVIEWS
津島輝子「右と左が分からなない若輩者でございますが」
http://theinterviews.jp/teruruより転載しました。