許すと甘やかすの境界線

少し早起きして近所の協会の日曜礼拝に行ってきた。
ただ賛美歌を歌いたくて。(ハモるの大好き元コーラス部!)

協会に入るとき名前やら住所やらを書かされたんだけど、
協会名という欄があってちょっと戸惑った。
身なりのきちんとしたおばさんに、
「聖教の生徒さん? 実習でいらしたのかしら」と尋ねられた。
“どなたでもご自由にお入りください”て書いてあったじゃん。
あんまり居ないのかな、そういう人。

しっかしまあ、協会ってほんと、協会なのね。 人生初協会だったので感動したよ。
お寺や神社と違って日本の文化に馴染まない。日常からかけ離れたファンタジック空間やった。

無宗教家の私には、
「マタイとルカとマルコの各福音書に記されたイエスに纏わる事象解釈の違い」なんて、
正直眠たくなっちゃう話だったけど、優しげな神父さんが説法の後に

「まあなんだかんだいってもね、自分を許すのは自分だけですよ!」

と言ったのだけは、とても心に響いた。

……そんなこと言っていいんだ。ここ協会やんな?とも思った。
(神絶対!唯一神!サイコー!みたいな感じではないんすね……)

自分を許すのは自分だけ。
裏を返せば自分を縛るのも自分なんだよなあ。

時々私は他人の許しを乞いたくなったりする。 自分が自分を許す材料になるから。
頑張って頑張って、周りから「そんなに頑張らなくていいんだよ」言われると、ほっとする。
周囲からは自分に厳しく努力している人のように見えると思う。
でも「もう十分だよ」の一言が欲しくて無理して頑張っている時の自分はえらく苦しい。
神様や身近な人々に許されても、自分が自分を許さなきゃ確かに苦しいままなんだ。

逆に、私が身近な人の良くないところに気付いたとき、
どこまでが仕方なくて(許すべきで)、どこからが厳しく伝えるべきか
丁度いいラインがわからなくて厳しくしすぎたり甘やかしすぎたりしてしまうことも度々ある。
「許す」と「甘やかす」の境界線ってどの辺なんだろうなあ。
相手にもよるよな。
打たれ強い人、打たれ弱い人、褒められて伸びる人、褒められると高慢になる人。

なんでもほどほどが丁度良いのだろうけど、バランスを取るのって難しいな。
もう少し上手に歩けたらなあー。うーん。上手に歩けるよう、頑張ろう。
とりあえず、こうして立ち止まっちゃってる自分を許すところから。