面白いものは楽しい現場から生まれると思う

夏ごろにエキストラで参加させてもらった、同級生の『自己満バカ映画』(本人がそういってる)が、やっとパケたそうだ。

「でさー、でさー!もう編集で30回以上見てるくせに、打たれるところとエンディングのところに曲入れて、完成して皆で見たら、俺、感動して泣いちゃってさぁ! 電気つけたら俺だけぽろぽろ泣いてんの。 バッカっだっよっなぁー(笑) あの自己満バカ映画にだよぉー」

カトゥがあまりにも嬉々として話すもんで、皆でバカだバカだと指差して笑ってやった。

「全く。お前の自己満足のためにどれだけの人が迷惑被ったか…」
仲間が茶化す。

「もー、ホントだよ。スンマセン。スンマセン、みんな」
カトゥが右へ左へ、ヘコヘコと頭を下げる。

撮影の現場でも彼はこうしてスタッフにヘコヘコ頭を下げていたなあ。
さらに遡って制作に入った当初には、
「内容薄いし自分がやりたいだけだし、あんま人にやる気出してもらえるような映画じゃないのわかってるから、もうメチャクチャ頭下げまくってスタッフ集めたよー!」
なんて言っていた。

私はそんな端々のエピソードを思い出して
「そんな泣くほど感動してくれりゃ、スタッフにしろエキストラにしろ頼まれた人間もやった甲斐があったって」
と、笑いながら言った。
たぶん皆にはフォローに聞こえただろうけど、本気でそう思って言った。

それに引き換え、私はどうだ。
入って即行辞めたくなったこのサークルで、何か変われと思って叩き付けたドラマの企画。

一回生の皆が、これを期にもっと作品製作を好きになってくれたらいいなと思った。
「楽しい」なんて段階はとうに過ぎて、「こなす」という感覚になっている二回生が、作品制作の喜びを思い出してくれたらいいなと思った。
ていうか、楽しく やってくれればそれだけでいいと思っていた。
だが結果惨敗だ。作る喜びどころか、私が企画したことによって、
そこにはやらなければならない「仕事」が生まれただけだったようだ。

せめて自分で編集出来る環境を整えて、編集を ”請け負って” しまっているあのクソ監督を開放して、
映像編集に興味のある後輩らを呼んで、一緒に勉強しながらやっていこうかと思っていたが、それも出来なくなってしまったし。

こんなことならいっそ、企画者の自己満足でもなんでも、頭下げて「手伝って」貰った方がマシだったのではと思う。そういう作り方にはいまいち価値を感じないんだけど…それでも。

みんなで楽しくやりたいというのは贅沢すぎる「無理な話」なのだろうか?
そんな難しいこと?それが今までできてた私は環境に恵まれてただけ?
答えが出ない。もうずっと。